裁判の証拠とデジタルフォレンジックス

裁判の両当事者は、その手持ちの証拠についてお互いに開示をなして(トランプを表向きにして)、事実の存否を争うものだとすれば(わが国では、このような認識は、あまり一般的ではないが、むしろ、英国・米国は、このような理念で動いている)、日常の電子メールについても、紛争に関係する以上、相手方当事者に開示をしなければならないという考え方は、おかしいものではありません。

現に、米国では、事件に関連する電子メールについての開示を相手方が自動的に求めることができ、そのデータの保全、分析、収集のためにコンピュータの専門家が活用され始めています(そして、この動きは、上述のコモンロー国家に広がっている)。

このような手続きは、e-ディスカバリ(電子開示手続)といわれており、現代的なトピックになっていまする。詳しくは、他のページで論じています。

事案によっては、証拠を消去してしまうソフトウエアを利用していたことが、専門家の分析によって明らかになって、それだけで、訴訟に敗訴がいいわたされたという事件も報告されている。また、この分野において、技術をもちいて、関連するデータを膨大なデータから、識別し、データ量を削減する仕事が、順調かつ急激に、リーガル・テクノロジーとしてのマーケットを構成しているものということができるでしょう。

このようなe-ディスカバリを外国のみの話であるといいきることはできないでしょう。

最初に、我が国の企業においても米国の裁判と無関係であるといいきれるものではありません。

米国で提起された事件であったとしても、日本にある証拠の開示を求められることは、しばしばある。米国においては、米国におけるディスカバリーの命令が外国にあるデータに対しても及ぶという判断がしめされています(Strauss v. Credit Lyonnais SA,242 F.R.D 199(E.D.N.Y 2007)) です)。

実務的に、オンラインで、そのデータに対するレビューをするので、データが国内だろうと国外だろうと、あまり、その違いを意識することがないと考えられています(そのために、EU諸国において、データ保護原則と衝突するとか、各国において定められているブロッキング制定法に衝突するとかがいわれています。-詳しくは、別の投稿で考察します)

日本の裁判所で、日本でのコンピュータ内に保存されたデータが事件に関連性を有しているというような場合にどのように対応すべきかということは、いまだ、一般化していない問題であろうと考えられます。

我が国においても、理念的には、事件に関係する文書については、文書提出命令の対象となるのが一般であるとされているので(民事訴訟法220条4項)、相手方が、文書を特定して開示を求めてくれば、応じなければならないことになる。

この事件に関連性ある文書が、書類であればまだしも、電子メールであったとすれば、どうか。どのような手法で、文書を収集し・提出するのか、また、相手方から、その文書を特定するための情報をどのようにして取得するべきかという点などが、具体的な問題となります。わが国においては、一般的に消極的に考えられているように思えます。

が、今後の国際化の進展のもとに、そのような態度が、他の国に比較して、裁判のクオリティが低いものと認識されることにつながってしまうのではないか、という懸念も指摘しうると思われます。

(アジアにおける裁判制度の国際比較をする場合に、シンガポールや香港などに比較して、高い評価が与えられないのは事実です。裁判所の事務・弁護士の力量・ルールの明確さ、アクセスの容易さなどともあわせて、正義のクオリティで劣るとされるのは、実務家しとは、許されるものではないでしょう。日本企業においても、米国の市場が関係する場合には、断然、アメリカの裁判所のほうが使い勝手がいいと考えられているのも事実でしょう)

上述したようにコンピュータ証拠であっても、その証明力、とくにそれが改竄されていたかどうかについては、裁判官の自由心証の範囲で決定されるということになります。仮にそうだとしても、果たして、本当にコンピュータ証拠が改竄されていない証拠であるのかという点については、どのような手法でもって保全・収集・抽出・書面かがなされるべきかという点については、問題が多いように思われます。

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