英国においてデータ保護法案2017が提案されていて、それを検討する前に、データ保護法1998を復習してみましょう。
第1章 英国データ保護法制
第1 データ保護の必要性と歴史的経緯
1 制定まで
英国においては、1970年代になるとプライバシー権の主張と平行して、個人情報保護がとなえられるようになっていっきました。
1975年には、ヤンガー報告書に対して、政府は「個人情報をコンピューターで取り扱っている者に対して自分たちのシステムがプライバシーに対して十分な保護をなしていると判断する唯一の裁判官であり続けさせることはできない」として、データ保護局の法制化を認めることになりました。
このデータ保護局の公正等についてリッドップ卿を議長とするデータ保護委員会が構成され、1978年には、データ保護法の立法提案をおこない、この提案は、高価で官僚的であるとして拒絶されたものの、1984年にデータ保護法1984(以下、84年法ともいう)の制定がなされています。
そして、1995年のEU指令により、英国は、1998年にデータ保護法1998(以下、98年法ともいう)を制定しました。
2 データ保護法1998の特徴
データ保護法1998は、データ保護法1984と比較した場合に、きわめて大部であり(84年法は、43条と附則4条に対して、98年法は、75条と附則16条)、また、データ保護法1998は、フレームワークにすぎずデータ保護法84よりも制定法により決定さるべきところがより多いという特徴があります。その上、データ保護法98は、手作業による記録(マニュアル・データ)にも及ぶなど、明らかにその適用範囲を広げました。そして、法案には、説明および財政的なメモが付されているのですが、それによれば、新しい体制に適合するために、その開始コストは、民間部門で8億3600万ポンド、公的部門で、1億9400万ポンドになると見積もられていました。
3 98年法の客観的状況
98年法の状況は、いわば孤立した存在であった84年法とは異なり、同一のフィールドの3部作と見られています。
他のふたつとは、人権法(Human Rights Act 1998)と英国における政府の情報自由法制の導入とです。
人権法は、ヨーロッパ議会の「人権および基本的自由条約」を国内法化しなくてはならず、また、同条約の8条1項(「すべての者は、プライベートな生活、家族の生活、家庭および通信を尊敬してもらう権利を有する」)が、個人データへのアクセスを含むと解されているのです。また、人権法と98年法とは、メディアに対する扱い(データ保護の適用除外)について議論を呼んだところでもあります。
また、情報自由法制は、政府に対する情報公開請求の80%は、個人のデータに関連する(諸外国の制度を参考)のであり、この限りで、情報自由法制が98年法を補完することになります。もっとも、請求者以外のものに関する限り、情報自由法制は、その目的と客体においてデータ保護法と衝突を起こしかねないともいわれています。
4 98年法の実装
英国は、他のEU諸国と同様に、98年の10月24日までにデータ保護指令を実装しなければならなったのですが、結局は、間に合わず、2000年3月からの施行となりました 。また、マニュアル・データ保護の局面と、現存するユーザーとの関係については経過規定が設けられています。