ちまたで、「通信の秘密」の肥大化の話がでたので、これってコピーとしては、私がいいだしっぺだよね、とか検索していたら、西土 彰一郎教授の「インターネットにおける基本権保障のあり方」(総務省 情報通信政策レビュー 第 9 号 2014 年 11 月)に接しました。
まずは、私の論考を取り上げていただいてありがとうございます。宍戸先生に「発掘」されるまで、ほとんど、アカデミックには、無視されていた論考が、有力説として認知されるにいたったことは自分としても本当にうれしいです。
あと、外形的事項について通信データの用語を用いていただいて感謝します。(通信履歴は、ミスリーディングなので、さけるべきといっていたのが評価されているものと思っています)
この論文についていえば、わが国の「通信の秘密」に該当する事項について、ドイツの基本法の議論を紹介していただけるということで、参考になるものと考えます。
ただし、私の論考が実際の通信法とその実務という観点から問題点を提起しているのにたいして、正面から応答いただいているのか、という疑問を感じています。どうも、憲法の理念の問題に「すり替えられている」という感覚があるのです。
もし、私のレベルで応じてもらえるのであれば、
(1)G10法における通信傍受の実務
(2)電気通信法の7編 電気通信の秘密、データ保護、公共の安全(Fernmeldegeheimnis, Datenschutz, Öffentliche Sicherheit -SECRECY OF TELECOMMUNICATIONS , DATA PROTECTION, PUBLIC SAFETY)の規定(特に、96条は、サービスプロバイダは、この章に述べられている目的のためにトラフィクデータ “Verkehrsdaten”を利用することができるとしています)
(3)電気通信法113条の個別照会手続(Manuelles Auskunftsverfahren)の関係
(4)テレメディア法14条
などの個々の規制と論者の「デジタル基本権」なるものとのせめぎ合い、ねじれがどのように論じられているのか、その「運命のいたずら」を論じてもらえべきだったように思います。
「「デジタル基本権」はこうした日本モデルをむしろ要 請している」と論じられても、現場の悩みを無視した理念論で、対論しようとされてもねえ、という感じです。