読売新聞 2018年8月26日 一面には、ジョセフ・ナイ氏の「露のサイバー攻撃 戦闘伴わぬ「新兵器」」という記事(地球を読む)が掲載されています。
2017年5月1日には、「サイバーと倫理-国際紛争防ぐ規範必要」という記事(地球を読む)が掲載されていたのについては、このブログでも取り上げたのですが、1年4月ほどのインターバルで、再度、「グレーゾーン」での攻防により重点を置いた論考を示しています。
論考は、
(1)「ハイブリッド戦争」という用語とともにサイバー攻撃が行われていたこと。ただし、補助的な攻撃手段であること。
(2)物理的な損害に応じて比例原則にもとづいてなされる米国の軍事ドクトリンについて。
(3)真の危険は「グレーゾーン」での攻防にあるかもしれないこと。
(4)偽情報拡散のスピードと低コストが、「完璧な武器」としてのサイバーによる情報操作を生んでいること
(5)DNCハックは、武力攻撃(軍事攻撃となっていますが、こっちのほうがいい感じ)の閾値を越えるまえで行動をとめていること
(6)オバマ元大統領が、戦術の危険をしっていたにもかかわらず、厳しい対応をとらなかったこと/トランプ政権も措置がとれていないこと
(7)新兵器に立ち向かうためには、広範な国家的対応を組織する戦略が求められる/拒否的抑止も必要
(8)選挙担当職員の訓練/政治宣伝の発信元表示の義務づけ/外国による政治宣伝を違法とする/ファクトチェックのための独立機関
(9)外交の努力の必要性(信頼醸成措置の確保)
(10)悪用には、代償が伴うことを示すこと
などの内容であるといえます。
まさに、2018年におけるサイバースペースをめぐるひとつの問題点とそれに対する米国の代表的な見方を示しているように思えます。
前提として、国家による他の国家に対する情報工作は、伝統的に、なんら問題ではないと考えられてきたことを前提として知っておく必要があります。(読売新聞や、サンケイ新聞の成り立ちあたりを調べれば、よくわかるかと)
まさに、(5)の武力攻撃の閾値を越えない限りは、ホワイトであったわけです(というか、放任行為)。
しかしながら、ネットワークがまさに世界を変えたわけです。生命身体に実際の損害が生じるのでなければ、何をやっても、それは、国際社会が関知するところではない、としてきたところが、人々が、ネットを通じて、自らの政治的な意見を決定するようになってくると、生命身体の損害を生じさせる行為でもって、他の国の独立性を脅かすよりも、ネットでの意見を工作して、政治的な体制を変更させた方が、より、効果的になってくるわけです。
そうすると、その工作の対象国の政治的な独立性を、虚偽の情報やハッキング等で手にいれた情報を基盤として、政治工作を行うことが、従来のような放任行為でいいのか、という問題が生じるわけです。これが、「グレイゾーン」といわれているところです。この用語については、「タリンマニュアル2.0 パネル」でのエントリで、シュミット先生のコメントのところできちんと説明しています。(2017年のCyConでもシュミット先生のテーマは、グレーゾーンです)
法的には、政治過程の操作については、国際法違反(この場合、国際的違法行為として制裁措置が発動できる)とすべきだろうとされているところです。そして、これに対して、国内的にも、種々の措置をとるべきであろうということで、(8)の提案になるわけです。
政治宣伝の発信元表示の義務づけ/外国による政治宣伝を違法とする/ファクトチェックのための独立機関 などは、上述のような伝統的な考え方が、ネットワーク社会の発展によって変貌してきた証拠ということができるでしょう。
その一方で、表現の自由という考え方が、外国による不当な影響力の行使という考え方でもって揺さぶられているという見方もできると思います。非常に興味深い論点です。もっとも、わが国の場合に、いまのところ、どの程度の危険があるのか、というのは、不明確ですし、緊急の対応の必要があるとはいえないのではないか、というのも事実に思えていたりします。