前のエントリで紹介したスライドは、もともとは、山崎重一郎先生の「自己主権アイデンティティ」というスライドに対応して、ケンブリッジアナリティカ事件を法的な見地からみてみましょう、というものでした。
ここで、「自己主権アイデンティティ」という用語がでてきます。概念としては、「自己主権型アイデンティティとは何か~ブロックチェーンがもたらす新たな可能性」によると、「特定の中央集権的な管理者を置くことなく各分散ノード(≒ユーザー)自身が各種データの管理を行うことができるということ」を意味するのだそうです。
この概念のモデルとしては、自己が中心となって、情報をコントロールできるということになるそうで、ブロックチェーンを利用しての属性証明などが応用例とされているようです。
用語としては、「主権」というのは、誤解を招きかねないなあ、というのが一番の懸念ですね。主権というのは、通常では、ほかからの独立と、非拘束を意味するとされるわけです。パルマス島事件では、「国家主権とは、国家間における独立を意味するものである。地球の部分における、それらを行使して、他国やその機能を排除する権能を意味する」とされているわけです。
ユーザにリンクされうるデータは、いろいろいな主体によって取り扱われるわけで、そのデータに対して主権を有するといわれても、取り扱う主体は、困ってしまいます。しかも、そのデータというのは、ユーザの人格中心に直結するものから、おサイフとしてのデータ(例、たとえば、価格にきわめて敏感であるとか)までいろいろいな種類があります。(こんなエントリを書いたこともあります。あと、IPAの調査報告書は、こちら)それらに主権があるというのは、本人たちは、イケてると思っているのかもしれませんが、逆に、大雑把な分析になるような気がします。
確かに、特定の分野で、あたかも主権を有しているような取扱を、技術をもって、おこなうことができるというような外観を可能にする、というのは事実だと思います。それを自己主権型アイデンティティというのは可能だと思います。
が、大きな流れであるとか、今後の方向性であるとかいうのは、注意すべきものであろうと考えています。言葉としては、スローガンにすぎないように思えています。
あと、山崎先生は、そこで、ケンブリッジアナリティカ事件を警鐘として、紹介するわけです。「高精度の心理誘導」を可能にするツールが、現代社会では発展しているということになります。発表では理解しにくかったのですが、多分、自己アイデンティティとして「主権」たりうるべき、最大のものである(政治的な)意思決定が簡単に第三者から誘導されますよという警鐘として紹介されたのかと思います。
ケンブリッジアナリティカ事件を、心理誘導ツールの発展をわかりやすくみせてくれた事件として把握するというのは、私としては大賛成ということになります。ただし、法的な話としては、そもそも、そのような「独立した」自我とでもいうべきものは、フィクションだったのではないの、とか、そのフィクションを前提に、どこまで、そのようなツールの利用は許されるのか、という論点の展開になるのかなあというのが、研究会での私の感想でした。
リモートで研究会をしましたけど、意外にできたなあ、という感想です。その地方のおいしいものをいただくというのが困難ですが、まあ、このようなご時世なので、それは、終息後のお楽しみにというにとにしておきましょう。